What drives me.

between anthropology, primatology and management of technology

女性のキャリアと思い込みの怖さ

普段のテーマとは若干外れるが、自分のキャリアを構築していく中での障害と、それを”障害”と感じてしまう背景にある思い込みの話。まとまりはないけれど、自分の備忘録も兼ねて感じた事を残しておく。


 

先日、毎年米国で開催されるConsumer Electronics Show(通称:CES)の講演者リストを見ていたら、GMMary T Barra, IBMのGinni Rometty、J&JのAlison Lewis等錚々たる女性取締役が並んでいた。日本でも各社取締役による講演は多々開かれているが、CESの講演のように男性と女性が等しく並んでいる講演は少ない気がする(CESの場合でも男性の方が数は多いが)。

やはり米国は日本と違って女性登用が進んでいるのか、と思い彼女たちのキャリアを調べたら、”Most Powerful Women list”という言葉が目に入ってきて、どうやら米国でも女性取締役に就くのはかなり大変な事なのだ、と溜息をついた(なお、GMのMaryはMost Poweful Women Listのトップに君臨している)。

米国でもこのような状況なのだから、日本の状況はもっと酷い。仕事柄部長〜取締役クラスの方々と会う機会が多いが、これまで出会った約200人のうち、それらに相当する肩書を持つ女性は1人しかいなかった(その方も、海外で医学博士を取得した後、海外のキャリアを転々としての就任)。会ったことがない方でも、内永ゆか子氏ぐらいしか思いつかない。

女性役員比率が低い背景については、出世したい女性がそこまで多くないとか、女性の家事・育児負担が高まって仕事を途中で辞めざるを得ないとか、巷では色々言われているけれど、何かもっと根深い理由があるような気がした。


 

話が少し飛ぶけれど、私にはキャリア面で尊敬/参考にしている女性が何人かいる。彼女たちが書くblogは大変刺激的で、人生に悩んだ時に読むと、少しだけ勇気を与えてくれる。

一人目は渡辺千賀氏。Wikipediaによれば、東大→三菱商事スタンフォードMBAマッキンゼーを経て、現在は独立コンサルタントとして技術関連の事業での日米企業間アライアンスと先端技術に関する戦略立案を行っている。

二人目は東恵美子氏。ICU→モービル石油→マッキンゼー→ハーバードMBA→リーマンブラザーズ→メリルリンチを経て、現在は渡辺氏同様独立し、技術系M&Aコンサルタントとして働いている。

三人目は倉本由香利氏。東大→コンサル(恐らくMckかBCG)→MITMBA→再びコンサルタントとして、製造業・技術経営周りの案件に携わっている(本人のblogより)。

四人目はクローデン葉子氏。京大→SONY→商社→INSEADインテリアデザイナー(子育てと両立するために、手に職を付けたかったとblogには書かれている)。

“私が尊敬している人”にそういう共通点があるのか、それとも女性としてキャリアを追求していった結果同じ所に行き着いたのかはわからないけれど、彼女たちには下記の共通点がある。

  1. 国内で名の知れた大学の卒業生である
  2. 商社orコンサルティングor投資銀行など男性並に働く職場を経ている
  3. 全員MBAを取得している
  4. (倉本氏を除き)国際結婚している
  5. (倉本氏を除き)企業勤めではなくフリーランスにシフトしている

こうしてみると倉本氏だけ例外に見えるが、彼女のblogの中では結婚するまでに随分と苦労した(キャリアを積んだ女性は敬遠される)とあるし、先日出産して現在は時短勤務のため、最終的に5番を選ぶ可能性もあるのではないか、と私は考えている。

この5つの事実を踏まえて、私の中で”勝手に”色々妄想すると、

  1. キャリアへの意識が高い
  2. 大学卒業後男性主体の職場に跳び込むも、男性と同じ働き方でキャリアを追求していく事への危機感を覚える
  3. キャリアチェンジのためMBA取得を決意
  4. MBA先で出会った相手と国際結婚
  5. MBA先で出会った相手も当然相当なキャリアを積んできたorこれからも積んでいく事が予想されるため)結婚生活を維持するor育児をするために、女性側がフリーランスに転換

という流れなのではないかと考えている。私は現在2番のフェーズにおり、数年以内に3番(国際結婚という意味ではもしかしたら4番もかもしれない)のフェーズに移行することを考えると、ひょっとしたら5番を念頭に置いてキャリアを設計する必要があるのかも知れない。


 

ここからが思い込みの話(前段落も半分ぐらいは思い込みだが)。

”女性にとっての”幸せとは一体何なのかというのを最近よく考える。凄く具体的なキーワードで表すなら「結婚」とか「子供」なのかもしれない。友人の結婚は非常におめでたいし、幸せになって欲しいと思う。だけど、私自身がそれで幸せになれるのかどうかわからない、というもやもやとした気持ちをずっと抱えていたのだけど、それは私が極めて”男性的な”思想を持っているからなのではないか、と最近気がついた。なんだかややこしいので、”女性的な””男性的な”という枕詞がつく考え方の事を、ジェンダー思想、とここでは呼ぶ事にする。

私が育った家庭を含め、大体の家庭では”男性は仕事、女性は家事・育児”という形で分業が行われている(育児にはお金と時間とストレスがかかるし、女性が子供を保育園に預けて働くよりも、仕事を辞めて子供の面倒を見る方が、短期的にはお得に見えるため、自然とそういう分業体制になる/前述の倉本氏曰く、一時的に保育費用が女性の収入を上回っても、仕事を続ける方が生涯年収は高いらしいけれど)。だから、女性はなるべくお金を稼ぐ男性と結婚したいし、男性は家庭におさまってくれそうな女性と結婚したい(別に奥さんが働いてもいいけど、自分と同じぐらい働く人は嫌だ、というセリフを三人ぐらいから聞いたことがある)。

世間の常識として蔓延しているこの思想が、一般常識なのか ジェンダー思想なのかは私にはよくわからない。でも、

  • 自分が男だったら(長時間労働という意味で)ばりばり働く女性を受け入れられる自信がない
  • という事は、悲しきかな“ばりばり働く女性”になってしまった私を受け入れてくれる男性は世の中に存在しないのではないか(幸いにして、今のパートナーは”体調管理をしっかりして無理をしない”という条件付きで受け入れてくれているが)
  • 世の中ではなんとなく“結婚できる≒幸せ”、”結婚できない≒不幸”という考えが薄く広がっており、普遍的な幸せの形を目指す≒結婚できる女になる≒男性に受け入れてもらえるようキャリアを諦めるしかない≒幸せを目指しているはずなのになんだか不幸せ

のような、 ジェンダー思想をベースとした思い込み三段論法に陥っている人は、自分を含めて案外多いのではないか、ということだった(キャリア構築に長時間労働が必要ない世界であれば、そもそもこんな悩みは起こらないのかもしれない)。

この段落での結論を書いているうちに忘れてしまったのだけれど、人間(特に女性)は知らず知らずのうちに社会に広がっているジェンダー思想に取り込まれて、結果的に自分の人生の幅を狭めているのではないか、という話でした(全体についても解決策についてもまだ考えがまとまっていないので、いつか続きを書く予定)。