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between anthropology, primatology and management of technology

「科学技術が社会に与える影響」を考えるための材料ー遺伝子工学編

毎日新聞の「明治安田生命 遺伝情報、保険に活用検討 病気リスクで料金に差も」を読んで、とうとうこういう時代が来たか、と思った。23andMeDeNAのMYCODEなどの遺伝子検査サービスが台頭する中、保険会社が遺伝情報をビジネスに取り入れようとするのは極めて自然な流れである。ただし対象者や適用基準については、各個人の遺伝子が一体我々に何の情報を提供しうるのかという点も含めて、科学的な専門家を交えた議論が必要なのではないかと思っている。

極端な例だが、「各疾患の発症リスクが低い人間ほど、保険契約において優遇される」ようになった場合、"健康な≒疾患発症リスクが低い"子供を求めて、出生前診断の段階で"選別"が行われるようになるかもしれない。かつ、選別の精度とコストが比例するのだとしたら、恐ろしい世界が訪れるような気がしている(実際にそんなことは起こらないと信じたいけれど)。

冒頭に上げた例のように、遺伝子工学技術がもたらす議論はよりsensitiveになる一方で、こうしたトピックについて議論する機会は驚くほど少ない。勿論そうしたトピックに関心を持つ人達が集まる場は存在するけれど、学校をはじめとした公共の場では、あまり真剣に議論されていないような気がする(大学では議論の材料を紹介してくれるような授業はあったけれど、議論そのものは行われなかった)。議論の場の作り方、については残念ながら何のアイデアも持ち合わせていないが、個人的な趣味で、議論の材料となりそうな本・映画をまとめてみた(尚、ディストピア小説ばかり取り上げているが、遺伝子工学技術に反対しているわけではない)。


 

まず、遺伝子診断について考えるきっかけになりそうな小説を紹介。遺伝子診断の是非について、例えば早期診断によって命が助かるような病であれば、診断する十分価値はあると思う(遺伝子や血中マーカー等で特定のがんを早期診断する心試みは既に多数行われている)。一方で、診断を受ける事によって、知りたくない情報も同時に知ってしまいそうで(それこそ脳腫瘍で一年後に死ぬとか)、診断を受ける側が診断結果を選べるのがベストなのかな、と思う(この辺は凄く個人差が大きいと思う、余命がわかっていた方が人生悔いなく死ねる、という人も多そうなので)。

マイケル・コーディの「イエスの遺伝子」では、遺伝子診断により発症する疾患をある程度の確度で予測できるようになった世界が描かれている。主人公である科学者トム・カーターは、自分の娘が1年以内に脳腫瘍で死ぬことを知り、どんな疾患でも治療可能な「イエスの遺伝子」を追い求める度に出る。イエスが出てくるあたり「さすがアメリカ人」という感じだが、疾患予測の部分は約20年前に書かれた小説とは思えないほどリアリティがある。

イエスの遺伝子

イエスの遺伝子

 

 


 

2番目に、遺伝子組み換え作物/動物に関する小説を取り上げる。遺伝子工学にまつわる議論には、必ずと言っていいほどモンサント社の話が出てくるが、藤井太洋氏の「Gene Mapper」もそれを思わせるものがある。メーカーの遺伝子組み換え作物によって、自然な農作物が置き換えられつつある世界、スタイルシート・デザイナー(遺伝子をいじって作物の外観設計を実施)の林田が、突如起こった農作物の変異に対応するべく事件に巻き込まれていく話。かつて大腸菌の遺伝子をいじくっていた私が言うのも何だが、特に回転率(適切な単語が思い浮かばなかった)が早い生き物の遺伝子をいじくって、かつ外界に出すというのは本当に怖いなと思う。尚、本作は藤井氏オリジナルの"core"と、早川書房による編集が入った"full build"の2種類が存在しているので、時間がある方は読み比べてみると面白いかもしれない。

Gene Mapper -core- (ジーン・マッパー コア)

Gene Mapper -core- (ジーン・マッパー コア)

 
Gene Mapper -full build-

Gene Mapper -full build-

 

ジュラシック・パーク」でおなじみのマイケル・クライトンが書いた「NEXT」は、随分昔に読んだのでうろ覚えだが、内容にかなりリアリティがあった上、マイケル・クライトンなりの遺伝子工学技術に対する提言が後書きに含まれていて、この記事のテーマにはもしかしたら一番うってつけの一冊かもしれない。

NEXT 上 (ハヤカワ・ノヴェルズ)

NEXT 上 (ハヤカワ・ノヴェルズ)

 

五十嵐大介の「ディザインズ」は、人間と動物を融合して"兵器"として創られた生き物であるHA(ヒューマナイズド・アニマル)が出てくる物語。連載が始まったばかりなので今後の展開に期待。遺伝子工学にあまり関係ないが、本作で描かれている「世界の感じ方」という視点が凄い好きである。作中にはカエルやイルカをモデルとするHAが登場するのだが、カエルは皮膚で、イルカは音で、という風に生き物ごとに世界を捉える方法が描写されている。このあたりの世界観は五十嵐氏の他の作品である「海獣の子供」にも共通しているかもしれない。

ディザインズ(1) (アフタヌーンKC)

ディザインズ(1) (アフタヌーンKC)

 
海獣の子供(1) (IKKI COMIX)

海獣の子供(1) (IKKI COMIX)

 

 


 

3番目は、遺伝子工学あるいは薬剤投与による発達障害治療に関連する小説を紹介。ここでは、言わずと知れた名作「アルジャーノンに花束を」と、現代版アルジャーノンに花束をと言われている「くらやみの速さはどれくらい」の2冊を取り上げる。どちらも自閉症患者を主題とした本だが、自閉症スペクトラムという概念が提唱されている通り、そもそも健常者と自閉症アスペルガー等を診断されている人の間に明確な線引はないという前提の中で「発達障害を"治療"する事の是非」、ひいては「幸せとは何か」について考えさせてくれる(治療という言葉が適切かどうかはわからないが、"健常者"と同等のIQ/EQを実現する事を一旦治療と置く)。特に「アルジャーノンに花束を」では、治療によって急速に向上したIQに精神年齢がついていけずに苦しむチャーリィの姿に、治療しないほうが幸せだったのではないか、とすら思えてしまった(最後の一行で、まあでも、きっとこれで良かったのだろう、と感じさせてくれるけれど)。

くらやみの速さはどれくらい (ハヤカワ文庫 SF ム 3-4)

くらやみの速さはどれくらい (ハヤカワ文庫 SF ム 3-4)

 

 


 

4番目は、命を救うために命を作る、というテーマに関連する小説を紹介。「私の中のあなた(原題:My Sister's Keeper)」 は、急性前骨髄球性白血病を患う姉のドナーとなるために、受精卵を遺伝子操作して生み出された妹を主人公とした話。イシグロカズオの「わたしを離さないで」は、臓器提供者として生み出されたクローンの人生を描いた話(後者は2016年Q1に日本でもドラマ化されたらしい)。「他人の命のために"作られた"」事を知った人間の心理を、前者は直接的に、後者は間接的に描いている。 

私の中のあなた 上 (ハヤカワ文庫NV)

私の中のあなた 上 (ハヤカワ文庫NV)

 
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 


 

5番目は、遺伝子によって格差が生まれる社会について考えさせてくれる映画・小説を紹介(遺伝子とまではいかないものの、生まれながらにしてある程度人生が決まってしまう世界が現代社会でも存在しているが…)。「GATTACA」の世界では、遺伝子操作によって生まれた「適正者」と、自然妊娠によって生まれた「不適正者」がおり、カースト制度の如く生まれながらにして就ける職業が決まっている。そんな中で、不適正者として生まれた主人公のヴィンセントが、適正者にのみ許されている宇宙飛行士を目指す話。「各個人の持つ遺伝子が職業や社会サービスの選択に影響をおよぼす世界」について考えさせてくれる。

ガタカ [Blu-ray]

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遺伝子工学の是非を直接的に扱っているわけではないが、村上龍ディストピア小説である「歌うクジラ」も面白かった。2022年に、人類は不老不死の遺伝子である「SW遺伝子」をザトウクジラから発見し、ノーベル賞受賞者などの"優秀な"人間にSW遺伝子を組み込んで不老不死を実現する一方で、犯罪者とその子孫の寿命を短縮。それから100年後、15歳の主人公が世界の真実を探しに行くために旅に出る…というストーリー。ちなみに、歌うクジラ / 村上龍 - 誰が得するんだよこの書評に10回ぐらいうなずいたので、こちらも合わせて読んでみると吉かもしれない。

歌うクジラ(上) (講談社文庫)

歌うクジラ(上) (講談社文庫)

 

 東野圭吾の「プラチナデータ」も、カジュアルに読めるわりに面白かった。遺伝子検査によって犯罪検挙率100%が実現されている世界で起こった完全犯罪を描いた話(あらすじを詳しく書くとネタバレになってしまうので、是非読んでみてほしい)。

プラチナデータ (幻冬舎文庫)

プラチナデータ (幻冬舎文庫)

 


 

最後に、生命倫理関連で以前読んで面白かった本を紹介。「これからの「正義」の話をしよう」で有名なマイケル・サンデルの「完全な人間を目指さなくてもよい理由」とリー・M・シルヴァーの「人類最後のタブー」。読んだのが数年前のため、中身については帰国後に追記する予定だが、後者はセンセーショナルなタイトルの割に、冷静な議論が繰り広げられていた記憶がある。

完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?

完全な人間を目指さなくてもよい理由?遺伝子操作とエンハンスメントの倫理?

  • 作者: マイケル・J・サンデル,林 芳紀,伊吹友秀
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2010/10/12
  • メディア: 単行本
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人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは

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