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書評: 深い河

宇多田ヒカルが「Deep River」という曲を作るきっかけになった本、というのに惹かれて高校生の時に読んで以来、愛読書の一つになっている遠藤周作の「深い河」。散々人に薦めてきたが、何故好きなのかを聞かれると答えられないため、改めて感想を書いてみることにした。

深い河」は、死の間際に「生まれかわるから、この世界の何処かに」と言い残した妻を探し求める磯辺、"愛"というものを理解できない美津子、戦争で失った戦友を弔いにインドを訪れた木口、童話作家の沼田、そして汎神論的キリスト教を追い求める大津の5人が、それぞれ自分の内面に抱える思いを、インドへの旅を通じて昇華させていく物語である。昔読んだ時は、宇多田の「Deep River」の歌詞の影響もあり、どちらかというと輪廻転生に焦点を当てて読んでいた記憶があるが、同作者の「沈黙」を読んだ後にこの本を読むと、「この本の主人公は大津であり、遠藤周作が大津を通じて日本人的キリスト教観について語った本なのだ」という結論に落ち着いた。以下印象に残った部分。前者は、キリスト教の二元論的世界観と、大津が追い求める「すべてを包み込む愛」との矛盾に苦しむ部分。後者は、物語の終盤でガンジス河で沐浴をする美津子が呟いた言葉。「沈黙」では、西洋的キリスト教は日本人には受け入れ得ないもの、として終わっていたが、この「深い河」では、遠藤氏なりの日本人的キリスト教観が描かれていたような気がした。

「ぼくはここの人たちのように善と悪とを、あまりにはっきり区別できません。善の中にも悪がひそみ、悪のなかにも良いことが潜在していると思います。だからこそ神は手品を使えるんです。ぼくの罪さえ活用して、救いに向けてくださった」

「でもわたくしは、人間の河のあることを知ったわ。その河の流れる向うに何があるか、まだ知らないけど。でもやっと過去の多くの過ちを通して、自分が何を欲しかったのか、少しだけわかったような気もする。」

また、佐伯彰一によるあとがきの中で書かれている「「豊饒の海」と「深い河」の共通点は"多元的・複数視点"」というコメントも、本書による収穫の一つである。三島由紀夫の「豊饒の海」も長らく愛読書の一冊だったが、言われてみれば多元的・複数視点というのは、私が本を読む上で評価しているポイントの一つなのかもしれない(同じく愛読書としている角田光代の「ひそやかな花園」もその条件に合致している)。

最後にこの本が好きな理由を無理やりまとめると、「人間の数だけ世界観があり、悩みがある」中で「いかなる悩みであっても、いつか何処かで昇華される時が来る」みたいな所なのだろうか。。もしかしたら私もある種の救いを求めてこの本を読んでいるのかもしれない。

深い河 (講談社文庫)

深い河 (講談社文庫)

 
春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

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ひそやかな花園 (講談社文庫)

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