What drives me.

between anthropology, primatology and management of technology

"知識"はどこにあるのか

私がまだ女子高生だった頃(それほど昔の話ではない)、知りたい事を調べるのはそんなに簡単ではなくて、読んだ本に書かれていた事だとか手に入れた情報だとかをいちいちノートに書いたりしていた。今は手元の端末から一瞬で何かを検索することができるし、ワンクリックで記録することもできる。だけどその時、人はどこに情報を蓄えて、何を”知識”として自分の中に得ているのだろうか?

押井守の「イノセンス」では、人間の脳は常にネットワークと接続されていて、必要な情報を瞬時に取ってこれるし、野崎まどの「know」でも、脳内に埋め込まれた"電子葉"を介して入手した情報を"知識"として保持している。彼らはそこにある"情報"に何の解釈も加えないまま、それを自分のものとして扱うことができる。

一方で私たちが知識を得る時には、得た情報にある程度解釈を加えないと、それを自分の中に知識として止めておくことはできなかった(たまに辞書みたいな人間も存在するが)。だけど、スマートフォンやらのせいで、我々の脳には(幸いにして)未だ何も埋め込まれてないものの、状況としては上に挙げたような世界に近づいていっているのかもしれない。その時に一体何が起こるのだろう。人は解釈することをやめてしまうのだろうか。なんて話を会社でしていていたらlainをおすすめされたので今度見てみることにする。

know (ハヤカワ文庫JA)

know (ハヤカワ文庫JA)